第1回 何がBOW WOWに起こったか?
なぜBOW WOWはPOP化路線を歩まなければならなかったのか?
1979年11月号ロッキンf誌に掲載されたBOW
WOWのプロデューサー上野義美氏のインタビュー記事からその真相を探ります。
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インタビュアー 三原 元 |
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BOW WOWプロデューサー 上野義美 |
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まずSMS移籍の動機は? |
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やりたいことができなくなったのよね。前のレコード会社では。 |
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具体的に何かトラブルがあったわけじゃなく? |
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そうじゃなく、レコード業界の体系というのは制作が音を作って、それが宣伝にいって、営業に回して、販売店に行って、それがお客に渡る訳よ。その体系のなかでBOW
WOWがひとつの認識をされてしまったのね。
それを変えるというのは、新しくデビューするよりもものすごくエネルギーがいるからね。
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ということは、BOW WOW側にその認識からはずれて違うことをやりたいという変化が起きたってことね。 |
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そうね。ハード・ロックのグループであればこの位売れると、だからこれ位宣伝してこの位オーダーしておけばいいだろうと、お客もすっかりBOW
WOWの音はこうだと分かってしまってて。全部規定づけられてレールに乗っちゃってしまってたのね。そういう過去の実績に乗っかっちゃっていくのは俺はいやだし、音楽はクリエイティブな物だし、時代と共にあるものだし、今の時代感覚で動きたいのに動けなくなっちゃってたのね。 |
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でも、「ギャランティ」ではそれを崩そうとしたわけでしょう? |
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そうなんだけど、やはり同じラインの中で処理されるから、枚数は売れたけど所詮前からの延長線上でしかなかったし、一度ゼロにしてから始める必要があったのね。 |
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とすると、そもそもBOW WOWを作ろうとした動機にまで溯らなければいけないと思うんだけど・・・ |
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いわゆるロックをやりたかったのよね。あの当時、衣装は着ない、汚い、突っ立って自分だけ気持ちよさそうに弾いている、馬鹿声張り上げるっていうパターンがあって、俺はそれとはまったく別の日本の社会を背景にした派手やかなロック・バンドを作りたかったわけ。それはキャロルの解散コンサートが直接影響しているんだけど。 |
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キャロルのどんな面? |
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やっぱりあの時代に必要だったし、あの時代に散っていって良かったと思うのね。だからこそあれだけの支持を受けたと思うのね。だけど当時ロックやってた奴等はキャロルをロックと認めてなかったのね。今でこそ再認識しているようだけどね。グループ・サウンズもそうね。GSもまるで相手にされてなかったし、音楽的には。
だから俺がBOW WOWを作る時には、キャロルの時は暴走族だったけど、ギター・キッズでも何でもいい、今、現在の若い子のアイドルとして通用するバンドにしたかったのね。俺はロックを定義づけたり理論づけたりってのは好きじゃないのね。だからそれまでのロックも否定しないし、でもやはり俺の場合タイガースでありキャロルであったわけ。カッコ良くてワーキャーでいいと思ったのね。 |
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それでメンバー探して、バンド作って、いざデビューざせたら、山本恭司のギター・テクニックがワッととりあげられて、一躍ハード・ロックの王者になってしまったんだけど、LP毎にその歩みを解説するとどうなる? |
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デビュー・アルバムはね、これを聞いてもらうと一番良く分かるのね。これはもうBOW
WOWの全てを物語っている。曲目でいうと「フォクシィ・レディ」「ボリューム・オン」とか日本語でやってる訳よ。この辺を目指してたんだけど、ひとつの理論武装として「ジェイムスの小箱」とかのヘヴィな曲を入れたのね。それはできる可能性があるから入れたまでで、メインじゃなくて抑えね。 |
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そうか、俺は「ジェイムスの小箱」でBOW WOWはすごいと思ったんだけど。とすると、最初からGSの延長線上で先を考えていたわけね。とすると、それは質よりも、量を考える必要があるわけで、日本のハード・ロックの場合LPで2万枚もでるとヒット、3万枚以上なら大ヒットという見方があって、それは逆にいえば3万以上売るバンドが、殆ど無いということなんだけど、ならば10万、20万、ミリオンを狙うレコードを作ろうとしたわけでしょう? |
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そう、量で言うと最初からそれは狙ってた。 |
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ところで手元に具体的なデータはないんだけど、1st、2ndと3万軽く越したものの、10万枚の大台にはとても手が届かなかったわけで・・・ |
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うん、それはねデビュー・アルバムで抑えに入れた方の曲に評価が集まってしまったんだよね。当然山本恭司が浮きぼりになるわけで、ギターの天才だから当然なんだけど、テクニックだけじゃなく色いろな点で、もっと大衆化して行きたかったんだけど・・・・。 |
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ギター・テクニックで、日本の大衆をひきつけるのは難しいからね。恭司がピックアップされればされる程、大衆というか量は抑えつけられて、せいぜい3〜4万のファンしかついてこなくなるし・・・ |
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恭司を前面に押し出して作ったのが2ndアルバムだよね。完全に弾きまくりだし、ひとつのトータル・アルバムですよあれは。ギンギンのハード・ロック。あれを悪いといったロック評論家は殆どなかったもんね。 |
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じゃあ売れたかといえば・・・・。 |
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1stと変わんないんだよね。 |
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2ndで、イメージというか評価がレコード会社側でもファンの側でも、カッチリ出来上がってしまったのは事実だね。文句なく良いもん。 |
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俺は思うんだけどね、「シグナル・ファイー」の出た年は出た年なんだよね。今、聞いてもあの時ほどのインパクトはないと思うし。で、その頃からメンバーとのミーティングでも、聞き手とのズレを感じはじめたのね。それはエアロスミスとかキッスとかと知り合ったことも原因のひとつなんだろうけど・・・・。 |
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そんな状態の中で3枚目の「チャージ」が出たんだよね。 |
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「チャージ」はそれまでイギリスっぽかったのに対して、アメリカのイメージが強いのね。エアロやキッスの影響もあるし、メンバー自身の変化が徐々に出てきて・・・・。 |
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「チャージ」までは国内制作だよね。 |
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そのあとのライブ盤までね。それはいわゆるベスト物って感じで出したんだけど、それ以前にBOW
WOWの前期は終わっていたのね、はっきり言って。ライブ盤が第一期のBOW
WOWの集大成だったのね。
その時点でメンバーも俺もこのままやっていくことの不自然さを感じだしたのね。どんどんそれが積み重なって・・・。色んな外タレが来て、ジューダス・プリーストとか、聞いててアキちゃうわけ。つまらないのね。ジューダスが悪いんじゃなくて、今の時代と違うことを延えんとギター弾きまくってでかい音出してるって感じで。
それは自分達が、そう変っちゃったから仕方ないことでね。俺も何とか戻れるものなら戻そうとしたんだけど、戻らないわけ。ということは、先に行くしか仕方ないんだよね。 |
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そこで、アメリカに渡って「ギャランティ」が出来てきて、ファンとしてはとまどうよね、これは。 |
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だからロス録音では本音を出そうとしたのね。ほぼ半年間隔でLPをそれまで出してきて、「スーパー・ライブ」の後1年間空けてみたのね。振り返って考える為に。振返ってみて今では何だったのかという答が「ギャランティ」には出てくると思うよ。だからあれは音楽としてでなく、“気持ち”としてとらえて欲しいのね。 |
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成程。で、今度のシングル「欲しいのはおまえだけ」になるんだけど、キャロルやタイガースの線を狙うならヴォーカル力の点でチョット物足りないというか、正直言ってまだまだって気がするんだけど。 |
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俺はね、世の中にモノが受けるというのは、ヴォーカル力は関係ないと思ってるよ。要するにトーンが問題だと思う。古いトーンじゃなくて今の時代のトーンを出していくことじゃないかな。ミツヒロのトーンは他にないトーンだよ。桑名とも柳ジョージとも違うし、それ以前に五木ひろしのトーン、森進一、岸田智史、アリス・・・各々トーンが全部違うよね。俺はその中で、新しい、高校生に受ける新しいトーンはどれかなとメンバーを見渡してみて、その中でミツヒロが一番あってたのね。甘いし、軽いし、他にないトーンだよ。歌はいくらでも練習すればうまくなるよ。だけど、トーンがなければいくら練習して上手くなっても駄目だよ。その事は、俺自身学校出てからこの世界でずーっとやってきてるわけで、自信をもって言える。 |
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そういうものかなあ・・・。最後にロック観というか、ロックをどうとらえているか聞かせて。それはBOW
WOWが歌謡曲に走ったという世間の噂に対する制作側の答になると思うんだけど。 |
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うーん。ロックをひとつの言葉で言うことはできないよね。俺はロック、イコール人間だと思ってるわけ。人間というひとつのスピリットさえ感じさせればそれでいいと思ってる。でも、ひとつハッキリ言えるのは、ロックっていうのは根本的にミーハーであることだねよね。ローリング・ストーンズっていうのはミーハーだよね。チョット前はディスコ・サウンドでその前はレゲエをやってるよね。その時代時代でサウンドを変えてるけど、本質はなにも変ってないのね。
BOW WOWもそうしていくつもりだよ。 |
【出典】79年11月号ロッキンf
Rolling Spirits8 彼等は腑抜けたのか、それとも・・・何がBOW
WOWに起こったか? |